人生で死ぬ前に最後に食べたい物はカレーで確定論

人生で死ぬ前に最後に食べたい物はカレーで確定論

数年前になるが「トリビアの泉」っていうテレビ番組があった。

人生に全く必要のない無駄な知識(トリビア)を紹介し、タモリさんやらゲストの方が品評していくという、超人気のバラエティ番組だ。

僕の世代ではクラスのみんながほぼ見ていたテレビ番組であり、見ていなかったら次の日に学校で話題についていけないようなモンスター視聴率番組だった。

もうすでに終了してしまった番組だが、みなさんの中でもほとんどの方が知っている番組ではないだろうか。

僕は当時からこの番組の「人生に全く必要のない無駄な~」というフレーズがとてつもなく好みだった。

それは今も変わらずで、人生に全く必要ない無駄な事や無駄な物、しょうもないものやくだらないこと、それを好む性格をしてる。

今回もくだらないことを思いついたから真剣にそれを追求するそんな記事を用意した。

でもこの記事を読んでるってことは、あなたも僕と遠からずな趣向なのでは…?

さて長々と話していても始まらないので、今回のテーマを発表しよう

人生でに死ぬ前に最後に食べたい物はカレーで確定論

そうだよな。みんな画面の向こうで「はぁ?」って思ったと思うんだわ。僕も思ってる。僕たちの意見は一致しているんだ。

だからこそこの先を読み進める勇気を持った人こそ僕の真のサポーターだと思ってる。

着地点は一体どうなる?

ちぇけらぁぁぁぁぁぁああ!!

   

今回の趣旨説明

「人生で死ぬ前に最後に食べたい物」論争を終わらせよう。このテーマで争いが起きるのを目にするのはもう真っ平なんだ。

この論争により戦争は起きて、時には民族が分かれ、時には血を流し、国と国との間に国境が引かれた。

世界が平和になるにはこの論争に終止符を打つしかない。打つしかないんだ。

ただ、その役目を誰がするか…だが、正直僕も悩んだ。2時間考え込んだ。

導き出した結論は、「僕しかいない」だった。

それは何故か?僕は知っていたからだ。その答えはカレーだということを。

その答えに導かれるまでのプロセスを説明していくから、最後に納得してくれればそれでいい。

カレーではないという意見を持ったあなた。わかるよ。でもそれを詳しく解説していくから。いや、そんな詳しくは解説しないんだけどな。

最後飯はすでに4種類に絞られている

びっくりしただろ?

実はそうなんだ。僕もこれを発見した時は正直ビビったよ。

この「人生で死ぬ前に最後に食べたい物」って、もう4種類しか無いのよ。統計的に。

その4種類のラインナップをまずは一気に発表していく。みんなの最後飯はどれに当てはまるかな?

①ラーメン

②ハンバーグ

③お母さんの作った○○系

④カレー

ってことだ。もう④番のカレーであることはお解りかと思いますが、他のメニューもなかなかの強豪ぞろいではあるね。

「ラーメンではいけないの?」「ハンバーグじゃないの?」「僕はやっぱり最後はお袋の味がいい!」みたいな意見もあると思いますが、この後の僕の解説を見ていただければ納得していもらえると思う。

この他のメニューは?って思った人もいるとは思うが、実はこの4種類しかないんだよ。

僕は、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡、那覇で街頭調査したんだがね、不思議な事にこの4つ以外出てこなかったんだ。

あー。不思議。不思議。

では1つずつ解説するよ。

  

最後飯がラーメンではない理由

え!?違うの!?って思った人も多かったはず。

まず好きな食べ物としてラーメンがパッと頭に浮かんだ人も多いだろう。でも「人生で死ぬ前に最後に食べたい物」はラーメンではないことが解明されたんだ。

ラーメンの偉大さや美味しさに関しては僕もかつて記事にしたことがある。詳しくはそちらを参照して欲しい。

とてもしょーもない事が書きたい【ラーメンを食べると美味しい】を検証

要するに脳が【ラーメン=美味しい】という方程式を勝手に構築してしまっている訳なのだ。

しかし、「最後飯」となると話は変わってくる。理由はこうだ。

どの味のラーメンか選べない

ラーメンは基本的に美味しい。しかし、ラーメンには大きく分けても「醤油」「味噌」「豚骨」「塩」と、味が大きくジャンル分けされている。

その中でも魚介顎出汁、醤油豚骨、更には地方独特の味などに細分化される。

そしてどの味も全てと言っていいくらい美味しい。そしてどの味のラーメンもパフォーマンスが高く、甲乙つけがたいのだ。

人間はラーメンというものを思い浮かべた時に、その美味しさの水準が高く、バラエティ豊か過ぎる故に、複数の味のラーメンが同時に脳裏に想像されるのだ。

「醤油ラーメンいいな。でも豚骨もいいな。でもあの店の味噌ラーメンもいいな…。」といった具合に。

その同時に莫大な情報処理が必要となった瞬間、人間の脳というのは軽いパニック状態になってしまうと最近の研究で結論が出されている。

ここで問題が発生する。

そのパニック状態で選んだ味のラーメンが、本当に食べたい味のラーメンではなく、それが最後飯になってしまったらとすると…?

つまり脳の選択ミスが起きたとしたら?ということだ。

時間制限が敷かれている中、焦りを伴った状態で冷静な判断が行えず、間違った選択をしてしまったら?

本当は醤油ラーメンを希望したいのに豚骨ラーメンと答えてしまったら?

そもそもどの味のラーメンにするか迷っている間にタイムアップが来てしまったとしたら?

ゾッとする。時すでに遅し。取り返しのつかない事態なのである。

あなたはこのリスク、最後飯で背負えますか?

無論、否である。つまり、ラーメンは最後飯には不向きなのであると確証される。

最後飯は待ってくれない。一瞬の気の迷いが命取りなのである。

最後飯がハンバーグではない理由

続いてはハンバーグ。これは幼い子供には不動の人気を誇るエース級料理である。

軽くフォークやナイフで抑えるとフワフワな感触の中に、しっかりとした弾力のある肉質が感じられる。

切ってみると中からジュワ…と、肉汁が溢れ出し人間の食欲を刺激する。正にラ欲望の塊である。

では、最後飯になぜハンバーグが不向きなのか?

一見、問題は無さそうに感じるが、そこに大きな落とし穴が隠れている。

メニューの写真や歌い文句に騙されがち

みなさんも一度は経験したことがあるだろう。

店頭の食品サンプルを見ながら、「このハンバーグは美味しそうだ。大きくて肉厚で食べ応えがありそうだ。」

または、店内でメニュー表を見ながら「この写真のハンバーグ、肉汁が溢れ出してて食欲がそそられるなぁ。」と思ったり、「ジューシー!ボリューム満点!超肉質食感!」というような歌い文句に惹かれて注文するような体験。

しかし、実際にハンバーグが自分のテーブルに運ばれたときに、写真と違い想定よりも小さくボリュームに欠けていたり、湯気も少ししか立っておらず熱々では無かった。

ハンバーグを割ってみても肉汁は出ず、まだ生焼けなのではないのか?と思うような。

このようなお店のサンプルや写真に騙され、実際来たハンバーグに裏切られるようなそんな経験は誰もが持っているのではないだろうか。

そう。ハンバーグはリスキーなのだ。

最も顕著にそれが現れるのがチーズインハンバーグ、もしくはチーズオンハンバーグである。

まず写真のようにチーズが中からトロけ出して垂れ出す瞬間を僕は見たことは無い。チーズがハンバーグの上に完全に纏わりついて出てくる所を僕は見たことが無い。

スライスチーズがその硬そうな体型を保ったまま運ばれてきた事なんぞ星の数ほどあるのだ。

ではここであなたに聞きたい。そのハンバーグのリスク、最後飯で背負えますか?

答えは無論、否である。

最後飯で願ったハンバーグが、思ってたよりサイズダウンするなどあってはならない。最後飯で願ったハンバーグに乗っているチーズが、四角を保ったまま運ばれてくるなどあってはならないのだ。

つまりハンバーグは最後飯には不向きなのである。

  

ちなみに、「あのお店のあのハンバーグ」みたいな決め打ちでオーダーできるようなルールは最後飯には存在しない。どの店の料理なのか、はたまた商品化されたものなのか、何が当たるかはわからない。

「ハンバーグ」と決めたなら、ホテルで一流シェフが作るハンバーグかもしれないし、セブンイレブンのレンジでチンするハンバーグかもしれない。

なぜかって?

そういうルールだからだよ。

最後飯がお母さんの作った○○系ではない理由

よくある話である。

田舎のお袋が作った肉じゃがが最後に食べたい。普段料理をしない父が日曜に時々作るチャーハンが最後に食べたい。

定番の最後飯候補である。

街頭調査でも全体の意見の67%を占めた「お母さんの作った○○」系ジャンルに属する回答だが、実はこの最後飯こそが一番間違った最後飯なのである。

心して聞いて欲しい。

親より長く生きろ

この「お母さんの作った○○」系の最後飯、もちろん「お母さんの」という部分はお父さんでもいい。この先は便宜上「お母さんの」という表現をさせてもらう。

まず質問だ。人生で最後の食事、それを食した後に訪れる物は何か?

答えは死である。そう、最後飯の後には死が必然なのである。

では、その死の直前に食べる最後飯が「お母さんの作った○○」という状況はどういうことなのか。

つまり整理すると、お母さんは最後飯を自分に作れる状況なのだから、自分はおお母さんよりも先に死んでしまう状況だということだ。

僕は言いたい。

親より先に死ぬな。

親からするとこれ以上悲しい事は存在しない。これは一番親不孝な事なのである。

そう。「お母さんの作った○○系」は絶対に選んではいけないメニューなのだ。

ふざけた記事だが、このパートだけこんなに真面目な話になるとはな。

しかしこの理由だけは間違い無い真実ではないのだろうか。

最後飯がカレーである理由

皆さんお疲れ様。よくぞここまで読んでくださった。逆にここまで読んだ猛者のアナタにはもうお解りいただけるのではないだろうか。

そう。最後飯はカレーで確定である。

  

今あなたはカレーのことを愛して止まない体になっているだろうから、もう何を言っても揺らぐことの無い確固たる意志が心に灯っていることだろう。最後はカレーを食うんだと。

まぁ、一応という訳だが理由を何点か述べようか。

カレーにハズレはない

皆さんの中で経験したことのある人はいるか?

お店でカレーを注文して、ハズレが来た事が。スーパーでレトルトカレーを買って、家で食べたらハズレだったことが。

無い。無いんだよ。

どこを探してもハズレのカレーなんてものは無いんだよ。不思議だろ?どんなカレーであっても必ず美味しい。どんなカレーでも必ず90点以上を叩き出す。

それは料理界のイチローであり、料理界のミハエルシューマッハ、料理界のタイガーウッズ、料理界のダニエルラドクリフなのである。最強ということだ。

最後飯のオーダーにカレーを選択したところで、世界中のどのカレーが来たって大丈夫。カレー。カレー。

あぁ、カレーカレーカレー食べたーい。

食後の口臭を気にしなくて済む

これはとても魅力的な理由の一つである。

カレーと言えばその香辛料という原料故に食後の強烈な口臭が気になる所。いわゆるカレー臭というヤツだ。

歯を磨きたいものの、磨いた歯ブラシが黄色くなってしまい、着色が落ちるまで数日かかる悩みがある。ほんのり歯磨き粉の向こうにカレー臭が付いてる気もする。

しかし、最後飯というタイミングなので後を気にすることも無く、思う存分カレーを堪能できるってもんだ。

世界は広がる。これぞフリーダムカリーイーティングっちゅうもんだ。あなたにも祝福を。

消去法でもカレー

先ほどからラーメン、ハンバーグ、お母さんの作った〇〇系と3個のメニューが選ぶにふさわしくないと説明した。まぁ、そういうことや。残るんはカレーや。


結論:人生で死ぬ前に最後に食べたい物はカレー

お分かりいただけただろう。人類が長年悩まされてきた「人生で死ぬ前に最後に食べたい物は何か」という難題。

その答えが今日、この記事をもって確定した。カレーだ。

カレーしかないんだ。カレーしか選べないんだ。どうやってもカレーになるんだ。

この研究結果こそが真理であり、決して高学歴な天才奇天烈ボーイズには導き出せない角度からの思考である。

みんなもこの事実を受け止め、明日からの日常世界を強く歩いていってくれな。

ここまでよく頑張ったな。このふざけた文章をここまで読めたアナタは立派な変態さ。

さて、まだまだくだらない議題は山積みだ。1個1個片付けていくことにしよう。

次の議題は…っと、

それはまた今度、お会いできたら。

Yes。TKC。


1日が24時間以上になる方法を考えてみたけどダメだった